歴史を未来へ!まちのしゃべり場を開催しました
7月3日18:30より、スペース七番にて「まちのしゃべり場」を開催しました。
まちの人、まちづくり関係者、行政、そして新しくまちに越してきた新住民の方など、約60名が集まり、活気のある会となりました。
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平田様(名古屋市中区役所区長)のあいさつには大変勇気づけられるものがありました。
「住む人が増えている中区において、新旧の住民が”まちを知ろう”という機会があること自体がすばらしい」「経済合理性だけでなく、目に見えないかもしれないまちの在り様としての歴史に目を向ける座談会は、まちへの共感をあつめるものになるでしょう。一緒に楽しみたいと思います。」
話題提供では、まちの成り立ちを知ろう、ということで、4月に出版されたばかりの『名古屋都市・空間論: 消毒された都市から物語が生まれる都市へ』著者の井澤知旦先生をお呼びしました。
名古屋の都市の変遷、路地の魅力、錦二丁目を含む碁盤割と会所のあるまちのつくり、今後に向けてのオープンカフェ等の提案など、歴史から未来に向けて展望の描ける話題提供をしてくださいました。
後半は余吾昌信 氏(御園学区区政協力委員会委員長、福泉寺 住職)、黒部朋之 氏(常瑞寺 住職)、弊社名畑を交え、井澤先生をモデレーターに座談会を行いました。
「消毒都市から物語都市へ」と提起する井澤先生からは、
このまちでどんな物語があったのか、という問いがありました。
お二人のご住職は、まさに江戸時代から街区の中央に配された会所空間にある寺のご住職であり、自身も暮らす立場としてお話いただきました。
余吾さんからは、昔はジャズ喫茶や床屋さんなどがあり、このまちに暮らしがあったころの話をしてくださいました。加えて、人が増えていることはとても良いことで、重要なのは元々住んでいる人と新たな人が交流することだといいます。これまでの繊維一色、ビジネス一色ではなく、衣食住があり、多様なまちへの展望が語られました。特に「食べることが大事」とのことでした。
黒部さんからは、名古屋のまちは、名古屋城築城の時と、戦後復興の時、2度の誕生を経ているというお話をいただきました。
これに対して、会場からは「戦後、祖父はアメリカ村(現白川公園)の豊かな暮らしぶりをみて、悔しい思いをし、なにくそと働いた。」そういった思いが重なって復興のエネルギーとなり、三大繊維問屋街と言われるまでこの地区が復興していったといってもいいかもしれません。
また、黒部さんは「日々物語はあります。境内となっている会所の空間で酔っ払った女性が寝ていたり、夜中の突然の訪問者があったり。好ましい物語ではないかもしれませんが。」といいます。リアルな人間模様としての物語。地区の中でも東に位置する黒部さんと、西の余吾さん、わずか400メートル程の距離ですが、随分様子が違うようです。
弊社名畑からは、長年地域で暮らす人から聞いた、暮らしの話が紹介されました。井戸端会議や、物干し台ごしにコミュニケーションがあったり、路地に縁台を出して夕涼みをしているとみんなが集まってきた、という話などです。
また、暮らしがこのまちに戻ってきた今、「喫茶/スペース七番」が、コミュニティの交流居場所としての役割を担いたいと抱負が語られました。
最後、井澤先生にまとめていただきました。
「路地やオープンスペース、空間があればよいわけではなく、沿道やそこに営みがあってこそ。このまちは、”いかに豊かに暮らすか”、ということがテーマとなってきている。中心には「食」があること、という指摘もありました。
”おいしい楽しいまちづくり”を進めていきましょう!」
ありがとうございました!
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【錦二丁目まちのしゃべり場】
テーマ:碁盤割の歴史的アイデンティティを生かしたまちづくり
-まちの成り立ちを知ろう―
7月3日18:30ー20:30(場所:スペース七番)
《プログラム》
①あいさつ 平田一之様(名古屋市中区役所区長)
②基調講演 江戸の碁盤割を受け継ぎ、《物語都市》へ ― 井澤知旦先生(名古屋学院大学名誉教授)
③座談会 モデレーター:井澤知旦先生
余吾昌信 氏(御園学区区政協力委員会委員長、福泉寺 住職)
黒部朋之 氏(常瑞寺 住職)
名畑 恵 氏(錦二丁目エリアマネジメント、「喫茶/スペース」七番運営)
主催:錦二丁目エリアマネジメント
協力:御園学区協議会、錦二丁目まちづくり協議会
後援:名古屋市中区
【まちのしゃべり場とは】
錦二丁目では、2004年からしゃべり場(当時”まちのデザイン塾”)を続けてきており、勉強することがまちの活動をずっと支えてきました。コロナ禍もあり、今回は2年ぶりの再スタートとなりました。